“歯科医師になるきっかけ”についてお聞かせください。また「どういった歯科医師になりたい」かもお聞きできればと思います。
私は歯科家系の歯科医師でして、私で三代目です。
名古屋市千種区の池下で祖父が最初に開業しました。
きっかけは先先代と先代の背中を見続けたことにあります。
母方も歯科家系であり歯科とは幼少の頃より深い深い繋がりがありました。
そのような環境において私が歯科を目指すことになることは何ら不思議なことではなかったです。
先代は寡黙な歯科医師でした。
無理に歯科大学への進学を共用されたことは一切ありませんでした。
ただ内心はやはり歯科大学への進学を希望していたのかもしれません。
高校三年生のある寒い冬の日、私は日本を支える第一次産業に従事するのもいいのかなと思っていました。
それというのも、当時は日本もバブル崩壊後不況に陥っていて低迷時期にあったからです。
私の世代はロストジェネレーションと言われていましたし、失われた十年の真っ只中の時代でした。
日本は元気を無くしつつあり混沌とした時代であり、
カオスということ場があっている感じでした。
そんななか、若者はいつの時代でも元気でした。
鼻っ柱の強い私も乱心さながらおかれた環境も感じること無く違う分野の職種を一時は考えたこともありました。
受験シーズンなのにテレビゲームやギターに興じて、毎日を享楽のなかで過ごしていた日々。
目の前に迫るセンター試験や本試験という巨大な壁を見て見ぬふりをしていました。
勉強部屋では勉強をすること無くラジオを聴いてときだけ過ぎていました。
ちょうど勉強する時間ではミリオンナイツなどの感性を擽るすばらしい音源が耳を通り越していきました。
そんな日々も今思えば間違いではないと思います。過去は虚。すべては完了したんです。
覚えた数式は音源の前では、数字と記号というただの音階やフォルテシモになってしまいました。
そんな私に歯科大学の入学願書が届きました。
そうです。先代が申し込んでいたんです。
寡黙な先代が声なき声を発した数少ない要望だったのでしょう。
私はその要望にコミットしました。
そこから、歯科への飽くなき冒険が始まったのです。
どのような歯科医師になりたいかについては、私のたてた理念がそのすべてを物語っています。
「私を含む関係性を笑顔にしていくこと、自己成長、患者さんの口の中を守ること」です。
私は歯科を仕事とは思っていません。仕事ではなく人生だと思っています。
そう思うことによって私のリミッターは振りきれるのです。
どうせやるなら、存分に思うことを理念にたてよう。そう思い理念を設立しました。
周りのひとや自分が笑顔で過ごせたらいいだろうな。
成長し続けることで見えていなかった景色に気づくと楽しいかな。
私の手掛ける患者さんの悩みを解決しきったら、仕事としてどんなにやりがいがあるだろう。
私の歯科医師像はそこに集約されるのです。